11.「家づくりはドラマ」(人選と行動力こそ必要)

 「家づくりをドラマで味わう」。この言葉に期待と疑いを感じた方に、性能や金額を超えた豊かな選択肢があるという事実を伝えたい。
 日ごろ、建主との会話の中で「人生最大の買い物」という言葉をよく耳にする。また「ぜひ、自分の価値観やこだわりを生かしたい」とも聞く。これに応える私の答えは、「世界に一つのシナリオとキャストで自分の家づくりをドラマに仕立て、家族全員でその舞台を存分に味わってみないか!」である。大げさに聞こえるが、何度もその場面に立ち会った設計職人の大まじめな提案だ。
 なぜドラマなのか? それは建主が最後まで夢をあきらめずに家族が主役の家づくりに立ち向かう時、必ずと言っていいほど想像を超えた出来事が起こるからだ。その多彩なドラマのほんの数例を挙げてみよう。
 丸太の買い付けに挑んだ家族が、植林から製材、流通、加工に立ち会う過程で、木材をめぐる諸問題と手仕事の素晴らしさを親子が一緒に学んだことが一番に思い出せる。深い深い原生林、原木市場で響く競りの声、樹齢三百年の丸太が製材される瞬間、手ごわい材料をまとめ上げた棟梁(とうりょう)の横顔、親も子も一つ一つのシーンが脳裏に刻まれているはずだ。
 また、都会での田舎暮らしと最先端エコエネルギーの導入の融合を試みた建主が、その信念と人間性から赤城山ろくの築百五十年の旧家の大黒柱を譲り受けるに至ったことも印象に深い。黒ずんだケヤキの柱は百キロも離れた住宅街で旧家と同じように囲炉裏(いろり)にいぶされながら築三年を迎えている。
 起死回生の物語としては、一度進めた量産住宅系の三者択一型の建設手法がどうしてもなじめず、リスクを背負ってすべてをひっくり返し、若い夫婦がクリの丸太梁(ばり)削りから壁塗りまで、すべてに積極的に参加してまとめきった家づくりなどなど。建主の要望と人のつながり、時代や環境の違いから一つとして同じドラマ展開はない。
 では、そのドラマを体現してきた家族に共通するのは何だろう。それは「自分の夢を託すに値する人物かを見極める力と、その人を信頼して任せきれる度量だ」と私は振り返る。価値観やこだわりを実現させる家づくりに必要なのは「人選と行動力」。付け焼き刃的な建築の勉強は不要、素人のままでいいのだ。
 具体的には口コミからインターネットまで、情報手段は何であっても自分の理想に近い家を見つけ出し、必ず自身の目で確認してから、その関係者に正面からアタックするのが最も近道である。最初に約束した通り、この手法にはコストによる制限などなく、誰でもどんな条件でも当てはまる。われわれを驚かせる夢やこだわりが詰まったドラマを実践する家族が、一軒でも多く立ち上がること、それは群馬の家景色を豊かにしてくれるに違いない。

(上毛新聞 2006年10月30日掲載)

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10.「対話が生む暮らしの器」

 わが家を建てる。この何とも晴れがましい言葉を、もう一度取り戻そう。私には「家は家族時間の貯金箱」という持論がある。
かいつまんで言うと、大人から小学生までがスケジュール管理を余儀なくされる現代。家族が一つになって過ごす時間、体当た
りする対象、積み上げていく夢の何と少なくなったことか…。一世代前なら、たった一日の運動会や日帰り海水浴などでも家族
で大騒ぎしながら味わった時間が、いま目にする子供たちには、どこか手応えなく過ぎてゆく想定内行事のように映るのは私だ
けだろうか。
 しかしながら、家族にとって多忙極まる時代から自分たちだけ逃げ出すような秘策はないとすれば、その希薄な家族時間を大
きく増幅してくれそうな対象をもう一度探してみよう。五年計画の海外旅行でもいい。家族で一緒に耕す家庭菜園や、皆で楽器
を習得してのホームコンサートもすてき。けれど悲しいかな日々の生活からすれば、やはりこれらは趣味や時間など特定な条件
が整った場合に限られそうだ。では、暮らしに密着したところで家族時間を十分味わえる対象はないのだろうか。
 ある。私の答えは「参加する家づくり」だ。もちろん、これも恵まれた条件には入るが、二十代のご夫婦が家を建てる事例も
珍しくない時代にあって、これ以上、家族全員が楽しみを共有できる対象はない。ただ、人生最大の買い物とも呼ばれ、「絶対
に失敗しない」に集中するがゆえか、家を自分たちの「夢の対象」からあきらめてしまう人の何と多いことか。一つとして同じ
敷地はない家づくりは、いつの時代も人が現場で造る一品生産品。中でもわれわれ建築家が携わり、その家族の価値観や癖、大
切な思い出などを織り込んだ家は、毎日早く帰りたくなる安堵(あんど)感を三百六十五日味わうために考え抜いた暮らしの器
だ。
 だからこそ、ぜひ家づくりに家族一丸で体当たりしてほしい。その過程で出会うさまざまな業種の人々、そして降りかかる多
くの難問。それらと向き合う過程であぶり出される、その家らしい思考と希望を実現するには、家族の真剣な対話と究極の選択
を避けることはできない。それらの出来事一つ一つをシチューのようにじっくりと煮込んでいく時間こそが「家族を創(つく)
る」と私は考える。つまり、料理と同じく下ごしらえが肝心。実際に建設する前にこそ本物の「わが家づくり」が隠れていると
いうわけだ。そして知識欲旺盛な家族にとって、工事現場はまさに親子で学ぶ実社会科授業。木材の内外価格差から流通問題が、
自然素材選びから環境行政までもが見えてくるはずだ。
 群馬は山紫水明、美しい風土に恵まれた希有(けう)な土地だ。その山や川の背景に自分の家が溶け込む風景を想像してみよ
う。顔の見える多くの人々の知恵を得た一軒の家が建つことが、郷土とその家族の心を豊かに育てることになると信じ、この仕
事を続けている。そしてあっという間に二十年がたった。

(上毛新聞 2006年9月28日掲載)

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09.「広めたい豊かな暮らし」

 暮らしを「技」で支える人たちがいる。何げない日々の中で、食器やテーブル、時に小さな花束などが私たちの暮らしのシ
ーンを豊かにさせる一瞬がある。映画の一場面やブランドにあこがれた時代をくぐり抜け、いま私たちは毎日の暮らしの中に
「ゆっくりとした満足」を求め始めたのではないだろうか。
 四年前、そんな空気を感じて群馬を舞台に一つのグループが結成された。「功楽志(くらし)-群馬ユニット」。それぞれ異
なる活動をしてきた作家七人が、
互いの持ち味に共感して「豊かな暮らしの具体例を提示しよう」と集まった。
 群馬ユニットのテーマは一つ。陶芸展や家具展示など、それまでの個々の発信では伝えきれなかった豊かな暮らし全体像を
「技の融合」によって表現したい、ということだった。
 例えば、太い梁はりが掛かるしっくい塗りの本物の家、クルミ板を丁寧に仕上げた居間の食卓には、摘んできたばかりの野
花が素朴ながら味わいのある一輪挿しに生けてある。そして、その背後には低い軒がつくり出した涼しそうな縁側が家族の息
抜き時間を待っている…といったシーンの提案だ。
 メンバーは陶芸家、フローリスト、木工作家、瓦屋、タイル作家、棟とう梁りょう、建築家の七人。一人一技、その分野で
卓越した技能の持ち主たちが、生活に直結したモノづくりを通じて共鳴し合い、一つのハーモニーをつくり出す。そんなあり
そうでないユニットが、出身地こそ違えども同じ時期、偶然にも群馬を拠点に活動する。
 これまでの活動の一端を紹介しよう。一つは二年前、高崎シティギャラリーで催した「手技の握手展」。広さ八十坪の会場
を一軒の家の敷地ととらえ、中央に一カ月後に市内に建ち上げる実物大の家の構造体を置いた。展示物はすべて触っても座っ
ても持ち上げても構わない。生活と同じ感覚で楽しんでもらうことが何よりの目的だ。
 柱で囲まれた家の中は「迎える、集う、食す、守る」などをキーワードに、七人の手技が融合して七つの場面を演出。瓦ぶ
きの実演を含め六百人を超える来場者の大半が滞在一時間以上、「仮想のわが家」を楽しんでくれた。
 次なる催しは七人が持つ技を実際に体験してもらおうという試み。会場は「手技の握手展」で高崎シティギャラリーに仮設
した家の現物。七人の技と思いが結集して完成した。建て主の協力を得て、花の生け方や狭い空間での家具選びなど十五の教
室が開かれ、さながら家中は大人の文化祭。四十二坪の家全体を使って、その道のプロが「暮らしの味わい術」を披露した。
 群馬ユニットの活動は発表だけにとどまらず、実際の家づくりや診療空間の演出などにも広がっている。平時はそれぞれの
本業に精を出す七人だが、これからもユニットならでは、そして風土豊かな暮らし(功楽志)の魅力を広める活動を続けていきたい。

(上毛新聞 2006年7月6日掲載)

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08.「たった7人の地場産業活性」 

 地場産業活性化、、、。この言い尽くされた掛け声に、7人でチャレンジしているグループが群馬の西毛、甘楽町にある。
あくまで群馬産の瓦にこだわる新屋根開拓集団「屋根舞台」だ。前回「個人の職業意識を活かした地域人になろう!」と提言し
た が、私の知る限り彼らはその代表格と言えるだろう。6年前、行政への陳情の代わりに彼らがに掲げたのは瓦屋の夢挑戦。
決して メジャーでない群馬の瓦産業の中で最も弱小グループが日本一の瓦コンクールでメダルを目指した。
 本題に入る前、試練の真っただ中に在る瓦産業の話を少し、。30年前まで、瓦はその地場の風土を背負い全国約50の産地
で焼かれていた。勿論群馬でも藤岡市を中心として良質な粘土を基に多くの瓦窯が生産していた。しかし現在、多くの瓦製造は
三州、淡路、石州の全国三大瓦産地に集約され、残りの産地では風土とは無縁の三大産地製品を買って生業を営んでいる。事実、
群馬の瓦窯は往事の8分の一近くまでに減っている。
 屋根舞台の最初の取り組みは、東毛地域に僅かに残る幻の小泉瓦の本格的な復刻。全く独自な形を持つ江戸中期生まれの瓦を、
現代和風のオリジナル風土瓦に磨き上げるというもの。しかし、安価を売り物として昭和中期まで焼かれていた二番手瓦を、本
場の三州瓦よりも上質でかつ”これぞ地元が生んだオリジナル地元瓦”として返り咲かせるのは半端な努力では無い。
 これには2つの出来事が必要だった。一つは新しい瓦屋根が美しく葺かた建物を造る事だが、クライアントの理解のお陰で地
元太田の一等地に構える大型住宅の屋根を引き受ける事に成功した。2つ目は、その地元瓦でが業界一の全国コンクール「甍賞」
に入賞する事だ。結果は、モノづくりの信念と新しい風土瓦への意地が実り、見事に群馬で初めて佳作に入賞した。
 これに勢いづいた屋根舞台はその2年後、近年の酷暑と全国2番目の日照率である群馬ならばこそと、”屋根の放熱”と言う
全く新しい概念に基づく新作瓦を開発。これが国土交通大臣賞とともに、先の甍賞の「金賞」に輝いた。産業を背負った小さな
集団が作った群馬の瓦が日本一になった瞬間だ。
 7人衆の一人として舞台監督を務める私が申すのもおこがましいが、これを単なるベンチャー集団の成功例と見てしまうべき
では無かろう。それぞれ仕事を持ちながら、この目的の於いては、企画、設計、製造、施工、コーディネイターと異なる立場の
7人が経験を活かし、大ボラを吹きながら一つの目標に向かう姿が多くの地域人と共鳴して、地場産業の潜在力を引き出した結
果だと私は考える。
 全ての産業が絹糸に繋がった群馬から100年、その後様々な業種に広がり栄枯盛衰を繰り返す群馬産業には、まだまだ運命
的な異業種の地域ならではの出会いが残されているはずだ。

(上毛新聞-視点オピニオン21 2006年掲載)
 

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07.地域人になろう!(各自の活動が財産に)

 「地域人」とは何か? ここ十二年、東京と高崎を毎日往復する車内で頭に浮かんだことと実践したことを、この紙面を借りて
お話ししてみたい。
 「地域人」。ここでは、その定義を「社会人と家庭人の中間にいる世話人」としてみよう。
 ほとんどすべての年代で「忙しい」が口にされる昨今、仕事をしっかりして、家族の時間を大切にしていれば、誰もがその立場
での優等生であることに疑いはない。ただここでは、仕事と家庭の間の人、つまり、それをつなぐ人のことを考えてみたいと思う。
 やや唐突だが、便利な社会資本と個々の家族だんらんだけでは、豊かな社会とは言いがたいように私は思う。やはり人と人のつ
ながりがあって、その風土に培われた知恵の蓄積と交換、そしてそこで生まれる仲間意識が、私たち一人では味わえない貴重な時
間をもたらしてくれるはずだ。だからといって、昔のようにプライバシーを飛び越えたご近所の活動にいそしむべきと言っても始
まらない。
 ただ、これだけ仕事の拘束時間が長くなる一方でマイホーム志向が強まると、社会と家庭の間にある地域に魅力が薄れ、身近な
世の中がただの快適インフラにしか見えてこなくなってしまう。
 そこで、一つの提案がある。ぜひ、自分の知識や職能を自身の好みの対象に向かって開いてはいただけないだろうか。地域をこ
れまでのように町内や学校区単位でとらえるのではなく、もう少し広い範囲で自分の職能を欲している人たちに向かっての「地域
人アクション」とも言うべきものだ。
 自身の事例で恐縮だが、一例をご紹介する。
 私の職業は住宅設計で、二十年間、建て主家族とかなりこだわった家づくりに取り組んできた。
 昨今のニュースを含め、家づくりに関する情報は洪水のごとくあるが、それを整理してから自分の考えや生き方に結びつけ、わ
が家づくりをまとめていく作業は、とても素人で踏破するのは難しい。ほとんどの方は丸投げにするか、自分のレールをあきらめ
て相手のレールに乗ってしまうことになる。もちろん、これも社会に用意されるべき選択肢だが、その大きな夢に向かう家族たち
に、職業人でなく地域人として何かできないかと考え、始めたのが「高崎一日家づくり学校」である。
 営業戦力の一環である数多くのセミナーと違い、年に一度だけ自宅を校舎にしたこの一日学校のテーマは、変わらずに一つだけ。
「わが家づくりに向かう構え方」、つまり「施主になるための意識づくり」だ。ここで詳細を記すことはできないが、間取りや融
資計画などのセミナーでは決して触れない、損得とは別な次元の本音の対話が十年続いている。
 この「一日学校」が地域にどれだけの力になれているかは分からないが、こんな個人の思いの詰まった活動が身近にたくさん生
まれたなら、いつかはそれらが「地域の財産」を形成していくと、私は期待を込めて活動している。

(上毛新聞-視点オピニオン21 2006年1月22日掲載)

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06.「設計屋に託される夢」

 よく聞かれる話だが、日本の街並みが乱れている原因の一つは、現代の多様な屋根に在ると私も思う。これを憂い、
自分との約束として郷里に転居した時に掲げた夢が「群馬の家景色を美しくしたい」だ。ではどうすればいいのか?
と思案していたところに、全く別の角度から漠然とした問いが突き刺さってきた。「地域社会から設計屋に託された夢
とは何だろう」、と。

 特に戸建て住宅に関わる身として、この仕事が毎回ある程度特定の相手と業務を進める業種とは、大きく違うことに
気がついたのもその頃である。建具屋さんが関わるのは主に請負工務店と木材やガラスの材料屋だし、鉄筋屋さんが関
わるのは鋼材仕入れと運送屋がメインになるはずだ。しかし私たちは立場も収入も多種多様な毎回異なるクライアント
から仕事を引き受ける。その家族の自宅が対象ゆえに一件から複数の依頼は有り得ず、しかもそれはお金を産まない我
が家づくり。いわば自分の生業は”施主の身銭”で成り立っていることになる。これは広い建設業界の中でもほとんど
唯一と言いえる配役かもしれない。

 20年余りこの仕事に携わり最近特にその思いを強くするのだが、仮に街角の小さな住宅一軒であっても、30年50年
とその場を動かずに建ち続ける建物。もちろんクライアントの要望を最優先しながら計画を練るのだが、「それをどう
仕掛けていくかは設計屋の思い一つ掛かっている」と言っても過言ではない。設計者それぞれの主義主張は別として、
お金の流れとして業界から何のしがらみもなく、自由に材料や工法を選びもちろん自らの美学を盛り込んで一軒の家に
仕上げる住宅設計屋。ならばこそ、施主達の、いや土地の人全体から微かに聞こえてくる声にならない声に耳を傾け、
それを多くの賛同を得られる形にして残す事も、この仕事で生かされている人間の使命だと考えている。

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05.「家族を創る」家づくり

 我が家を建てる。このなんとも晴れがましい言葉をもう一度取り戻そう!
私には「家は家族時間の貯金箱」という持論がある。掻い摘んで云うと、大人から小学生までがスケジュール管理を余儀なくされる現代。
家族が一つになって過ごす時間、体当たりする対象、積み上げていく夢のなんと少なくなったことか、、。一世代前なら、たった一日の
運動会や日帰り海水浴などでも家族で大騒ぎしながら味わった時間が、今目にする子供たちには、何処か手応え無く過ぎてゆく想定内行事
のように映るのは私だけだろうか。

 しかしながら家族にとって多忙極まる時代から自分達だけ逃げ出すような秘策はない、、とすれば、その希薄な家族時間を大きく増幅し
てくれそうな対象をもう一度探してみよう。5年計画の海外旅行でもいい。家族で一緒に耕す家庭菜園や、皆で楽器を習得してのホーム
コンサートも素敵。けれど悲しいかな日々の生活からすれば、やはりこれらは趣味や時間など特定な条件が整った場合に限られそうだ。
では暮らしに密着したところで家族時間を十分味わえる対象は無いのだろうか?。

 ある。私の答えは「参加する家づくり」だ。もちろんこれも恵まれた条件には入るが、20代のご夫婦が家を建てる事例も珍しくない時代
に在って、これ以上家族全員が楽しみを共有できる対象は無い。ただ人生最大の買物とも呼ばれ”絶対に失敗しない”に集中するが故か、
家を自分たちの「夢の対象」から諦めてしまう方のなんと多いことか。一つとして同じ敷地は無い家づくりは、いつの時代も人が現場で造る
一品生産品。中でも我々建築家が携わり、その家族の価値観や癖、大切な思い出などを織り込んだ家は、毎日早く帰りたくなる安堵感を、
365日味わうために考え抜いた暮らしの器だ。

 だからこそ、是非家づくりを家族一丸で体当たりしてほしい!。その過程で出会う様々な業種の人々、そして降りかかる多くの難問。
それらと向き合う過程であぶり出されるその家らしい思考と希望を実現するには、家族の真剣な対話と究極の選択を避けることは出来ない。
それらの出来事一つ一つをシチューのようにじっくりと煮込んでいく時間こそが「家族を創る」と私は考える。つまり料理と同じく下ごし
らえが肝心。実際に建設する前にこそ本物の「我が家づくり」が隠れていると言うわけだ。そして知識欲旺盛な家族とって、始まる工事現場
はまさに親子で学ぶ実社会科授業。木材の内外価格差から流通問題が、自然素材選びから環境行政までもが見えてくるはずだ。

 群馬は山紫水明、美しい風土に恵まれた希有な土地だ。その山や川の背景に自分の家が溶け込む風景を想像してみよう。顔の見える多くの
人々の知恵を得た一軒の家が建つことが、郷土とその家族の心を豊かに育てることになる信じこの仕事を続けている。
そしてあっと言う間に20年が経った。

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04.「土地探し」

 今から15年ほどの前の話しだが、自分の土地探しを振り返ってみる。
いろいろと面倒だったので、職業を偽っての土地探し。30物件ほど見た挙げ句にたどり着いたのが今の土地だが、
多分私が手をつけなかったら今もそのまま放置されていたに違いない。というのも.間口4m、奥行75m、高低差9m、道路との段差3m。
しかしこれが私に取っては最高の条件に思えた。なぜか?、それは字面を並べると悪条件ばかりに見えてくるが、のんびり暮らすために必要
な気分転換を、敷地が補ってくれると直感したから。

 土地を何度も買う人そうはいない。つまり買い手はみんな素人、売る人にとってはこんなおいしい市場は無い。こんな説明で不動産価格の6%
も稼ぐのか! それを実感したのは、案内される物件説明がどこでも誰からも同じ内容しか聞こえてこなかったから。我が家を建てるための土地
探しではそれを転売する事はまず無いのだから、お決まりの台詞である道路付けや地型方角もさることながら、その土地の四方隣がどう変わってゆ
くかの読みや、その近隣地域特有の情報などを、総合的に解説できるようなサービス姿勢が今の不動産業界にはない。まるで一昔前の”白いカロー
ラは下取りが高いですよ!”かの有様である。

 これから土地探し!という方は、その土地に家が建った時にどんな暮らしが始まるだろう?、、と、頭を柔らかくしてイメージしてほしい。
すると、大事なのは購入する土地の中ばかりではなく、周りの環境や隣家の年齢構成、朝夕の交通量、ゴミ出しから見える地域意識などであること
が観えてくるはずだ。というのも、土地を購入するという事は地域の一員なる事との交換条件。本人は周囲と全く関わらないつもりでも、敷地を
所有し管理していく上での住民責任はどうやっても避けて通れない。だからといって怖じ気づく事など無く、当たり前に自分の周囲の環境に意識
を払っていけばそれでいいのだ。

 この土地に12年、暮らしてみて思う。土地取得いうことは、環境を買う事、関係を買う事、変化を受け入れる事だ。車のようにオイソレと乗
り換えは出来ない。だからこそ、その土地のどこが気に入ったのかを自問自答して、一週間経ってもその答えに納得がいくような土地が見つかっ
たらそれは買いなのだろう。
 ちなみに今の土地は3秒で決めた。云ってる事が違うじゃないって?、
イヤイヤその前に落胆や迷いなど3年間十分にベンキョウをさせられたから、、、。

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03.「提案!上州屋根街道」

エッセイにしては少々趣が異なるが、群馬の家景色を美しくする夢を携えて、街づくりと観光、そして郷土の魅力再発見という
側面を持った新しい提案をしたい。

「♪桐生、着道楽、男の御洒落〜。」
この歌詞の意味がようやく判りはじめた中学生の頃、恩師が興味深い話をしてくれた。「前橋は役人の街、高崎は商人の街、
そして桐生は職人の街・・・そう、覚えておけ!」と。

以来30年余、群馬を理解しようとする時、役に立つ言葉として愛用させて頂いている。
縁あって出身の桐生から高崎に転居すると、益々その言葉の的確さが身にしみる事が多い。反論を恐れずに申せば、それぞれの
「都市の役割と癖」を現しているとも言えそうだ。勿論この表現が顕著だったのは昭和初期までのこと、しかしその面影は現在
でも「気質や産業や街並み」など幅広い分野に浸透している。

専門の建築分野から眺めれば、県都前橋をイメージさせる代表格はやはり旧県庁の「昭和館」であろうし、商都高崎は蔵を構えた
「商家の家並」がよく似合う。そして織物桐生とくれば何と言っても機屋の「のこぎり屋根」だ。日本は”屋根の建築”と言われ
るだけあり、3つの建物、とりわて街並を印象付ける屋根の違いは明快だ。しかもこの3つは三都の個性、気質にも繋がるところが面白い。

屋根に関していえば、群馬には単体で名を駆せたモノも多い。奈良時代からの歴史を持つ藤岡瓦、蚕糸史に残る富岡製糸、檜皮葺
きの法師温泉、東毛には独自な形を持つ十能瓦があり、民家にも赤城型を始めとして風土豊かな屋根が数多く見られる。街や地域
を印象づける上で重要な要素である「屋根」において、群馬には豊富な「資源」があると言える。

とは申せ、これだけでは各都のイメージといい、興味深い建物といい、「点」として存在だ。街のイメージの違いを知らぬ隣県の
諸氏にはそれぞれ単発の位置づけとしか映らない。何事も「意味と流れ」が無くては「記憶+魅力」には繋がらない。

そこで一案!
今各方面で街づくりが叫ばれている中、我が群馬県を官、商、職など各都それぞれのイメージや気質と、それに相まった街の財産
である建物群を、屋根で括って群馬の魅力を内外にアピールする新しいアイデアを提案する。

名付けて「上州・屋根街道!」
 
それぞれ点であった群馬の魅力を”屋根”を軸に一本の街道で結んで、「街並づくり+観光資源発掘+地域活性」を狙うのがこの
提案の目的である。その街らしさを明快に押し出した拠点を巡る小旅行への誘いは、「新しい群馬の見方、感じ方」を発信してく
れるに違いない。

その一例をイメージしてみよう。例えば、全国的に珍しい独自な形の十能瓦の甍をのんびりと巡り、のこぎり屋根のギャラリーで
織都の歴史に触れ、重厚な煉瓦造りの貴賓室で往時を忍び、瓦窯を改装した自然食レストランで舌鼓を打ち、まるで屋根に向かっ
て下るような神社の参道を散策し、月に照らし出された屋根蔵バーのマスターから街の夢を聞き、養蚕農家から蘇った小粋な宿で床につく。

”屋根”という新鮮な切り口から生まれた新しい街道で、これまでの温泉王国・群馬だけではない「暮らしと文化を味わう群馬」
を愉しんでもらいたいと考えている。

また、これには珠玉の副産物がある。それは「県内各都のイメージの棲み分け」だ。ただ何気なく住んでいるだけでは忘れてしま
いそうな街の個性の違いが、この街道での位置づけとして明快に現れてくる。「我が街が群馬の中でどんな個性を持っていこうと
しているのか?」を、内外一本化して認識する良いチャンスになるはずだ。

しかしながら、こういった呼びかけはあまり大きな声ではじめると、兎角暗礁に乗り上げとん挫することが少なくない。まずは誰
の目からも明らかなところから始まるのが寛容だ。商都の川越は「小江戸、蔵の街」を前面に押し出し、現在では年間400万人
の観光客を集めるに至るそうだが、そのスタートは閉めた店蔵を一軒一軒説得するところから始まったと聞いている。この「上州・屋根街道」
構想も、永い時間をかけて美しい家並を一軒でも延ばしながら実現させてたいと考えている。まずはその”賛同者探し”から始めることとしよう。

上州屋根街道 準備会 呼びかけ人 徳井正樹
雑誌「上州風 Vol.14 」から(2003年)

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02.「家づくりの目的を探そう」

「家は家族時間の貯金箱、家には顔が必要」という考えを述べましたが、では、どうしたら家族みんなの共有時間を重ねられる
家を手にすることができるのか?、を考えてみましょう。

まず「家づくりは楽しいもの、何もむつかしいことなどない」と思い込むことです。 建築の知識など最後まで必要としない、
全くのシロウトだからこそ楽しめるということを忘れないください。

そこで最初にすること、それは「目的を定めること」です。

と聞いてピンと来る人は少ないかもしれません。家を建てることこそが、目的と思っている人が大半とも感じる昨今では当然
なのかも?、、。 しかし、車や家具ならいざ知らず、こと「家」となると、とにかく高すぎて、大きすぎて、その全体に託す
る目的など、思うに及ばない存在に見えてしまいます。 そしてあたかも、「耐震性があり、健康素材を使い、太陽の恩恵を受
けやすいこと」が、我が家の目的と勘違いしてしまうのです。

よく考えてみましょう。

それらは誰もが望む「条件」であり、家族ごとの固有名詞を必要としない企画しやすい「部品」なのです。 その部品たちに囲ま
れていれば表面生活は快適でしょう。しかし、家にはもっとその家族らしいエゴイスチックな魅力が必要だと私は考えています。

そこで、我が家づくりには「具体的な暮し方を見据えた目的」が必要になってきます。

むつかしいことではありません。例えば、着替えや入浴など、自分の生活癖を矯正させられるのではなく、そのまま受け入れてく
れる工夫はないだろうか?。 または、日曜日の遅い朝食を、笑顔で囲める食卓のためには? などなど・・
きっとその人らしい具体的な場面が表われてくるはずです。

しかしそれらは、とても何か1つのアイデアや機能では解決できるものではありません。けれど、それに向かい、その実現を目指す
ことこそが、誰かのもので無い、我が家をを作るときに必要な目的なのです。

家族にとって、家は365日24時間その暮しを見守る空気のような存在が望ましいでしょう。そして、ここぞという時にその時間を
増幅させてくれる家かどうか?、が満足につながります。 そんな時間が週に1時間でも実感できれば、人生にこのうえないゆとり
を生んでくれるに違いありません。

今、現実に家を建てる人の大半は、先ず住宅展示場に足を向けます。 そこでいきなり飛ぴ出す夢空間の連続にまどい、ゆらめき、
目的のはっきつしないまま、人生最大の買物をしてしまう人もいるでしょう。それも世の中に用意されていい選択肢ですが、目的
という固いイメージを自分の言葉で表現する時、そこに頼る人も含めて最初にやるべきことは、この目的探し。

ひとりで、写真や本を見ながらでなく、目を閉じて浮かんでくるボンヤリとしした映像を、家族の顔を前にゆっくり解いてゆくこ
のうえない楽しい夢の探検。この過程こそ、シロウトだからこそ書き上げることのできる「自分の家へのシナリオ」でなないでしょうか。

上毛新聞コラム「オピニオン21」から  (2000年)

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01.「家は 家族時間 の貯金箱」

住宅の設計を専門に手がけ16年になる建築家です。

5年前、それまで暮していた東京を離れ、家族5人で小高い山の中腹に引っ越しました。自ら設計した家に暮すことは、我が子の成績表
を見るようにヒヤヒヤ、ドキドキの連続です。そんな4年間の生活を通して「家について感じたこと」、「生活者の視点での家の役割」
「家族にとってのあり方」を、これから家づくりに取り組む方にお伝えできればと思います。

最初は、これから家をとお考えの方に「どうぞあせらずにドンと構えて、家づくりに取り組んでほしい!」という願いを込めての提案です。

「家」という言葉を広辞苑で引くと、いくつかの意味のなかにこんなものがあります。「旧民法で戸主の支配権で統率された戸主と家族の共同体」。
長い間「家」はその本来の意味よりも、もっと強力な背景をもって語られてきました。「家督、家柄、家系、家業、家訓、家…」。
そんな重苦しいシガラミを捨てたいが故か、今私達は『家の持っ意味や役割』などに関心を持つことから離れてきている気がします。

その反面、表面的な暗好を強く匂わすファッションとしての家に対する要求は、あふれる情報による知識と興味にそそられ、留まると
ころを知らぬ勢いです。

幼いときの自分の家、覚えていますか?

誰でも子供の頃の思い出の背景に、ぼんやりと、しかし、どこかドッシリとしたその家族らしい家の姿が焼き付いているはずです。
子供の脳裏に刻まれたジワーッとした映像には、本来、家が持っている「必要な」役割や意味のヒントが、たくさん隠されている
のではないでしょうか?。

家にはその家族を育てる機能としての個性、『顔』が必要だと私は考えます。それは決して立派な面構えをしている必要はありません。
重要なのは、器としての家の顔と、中身としての家族の個性が、一体となっているかどうかです。

つまり、家の性能や設備に目を向ける前に、先ず自分らしい家、「本当にそこで何十年も暮したいという家のイメージ」を考えてほしい。
それがきっと、あなたの家の顔です。

多額の投資への対価に見合う満足が家族に満たされるならば、家は数値で計れるような直接的な機能を遥かに飛び越えた、
その家庭らしい生活習慣を生む礎になります。そして時には、世代の時間を共有できるタイムトンネルとして働いたり、
永い時間の積み重ねによっては、そこで暮す人間の人生観まで変える力を持つこともできると信じています。

「家」とは、その家族の、癖のある着物であり、味のしみついた釜であり、世界に一つしかない『家族時間の貯金箱』なのです。

そんな家を建てる。

それには如何しても、家という建物に対してその家族らしいコダワリを持っことが不可決です。癖や味といった家族の個性を、
建築的な仕掛けとして積極的に組み込んだ住まい。


そんな『顔を持った家』が建ち並ぶところには、最近見掛けない、多様性のある、柔らかい社会がありそうな気がします。

 

徳 井 正 樹 建 築 展 「自分は何者か?」
札幌展メッセージ から (1997年)

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